世界の子供たちへ

世界の子供たちへ

~アフガニスタンで感じたこと、カンボジアで考えたこと~

2002年の夏、私がアフガニスタンで 私が会って、話をして、遊んで、手をつないだ子どもたちは長い間続いた内戦で医療や教育などの社会的基盤が破壊された中で暮らしていました。

地雷原に囲まれて、不発弾の落ちている道を使って、暮らしていました。
字が読める女の子は10人に2人しかいません。
でもタリバン支配時代は禁止されていた「学校に行って勉強する」ことが楽しくて仕方ないという子ばかりで、毎日片道2 時間、往復4 時間歩いて地雷を避けながら学校に通っています。

「先生になって、子どもたちに教えたいの。」
「お医者さんになって、病気の人たちを治してあげたいんだ。」
「この国が好きだから、この国をよくしたいんだ。」

アフガンの大地で一生懸命、たくましく生きている子どもたちから、私は逆にパワーをもらいました。この子たちがいれば、この国は大丈夫だ。 そして自分にも喝をいれなくてはと思いました。

2004年10月。プライベートで行ったカンボジアでも、たくさんの子どもたちに出会いました。

今は平和が訪れたカンボジア。しかし内戦が続き人口の約四分の一が失われてしまった悲しい歴史はまだ記憶に新しく、いまだ多くの地雷が埋まっています。

そして戦争が終わっても地雷は容赦なく子どもたちに襲いかかります。

「毎日たくさんの人たちが来て、疲れちゃうときもあるけど、僕たちのような子どもが増えないように地雷の怖さを伝えるんだ。頑張るから、また来てね!」地雷記念館で働いていた彼ら。

「お姉ちゃん、僕たちを撮って。そして伝えて。」地雷で犠牲になったその腕を精一杯振って、こぼれんばかりの笑顔でさようならを言ってくれました。

「あ~い~う~え~お!」と大きな声で日本語を学んでいる子どもたちにも出会いました。「ガイドになって、日本の人を案内してあげたいんだ」「日本の人たちがこの国によく来てくれるから、私も勉強して日本に行ってみたいの」と夢を語ってくれました。

アフガンと、カンボジア。国や歴史は違えど、子どもたちの笑顔や夢や希望や瞳は同じでした。
子どもたちの笑顔に国境はない。まさに、NO BORDER。そして、ひとつの新たな考えが浮かびました。

‘世界の子どもたちの笑顔に会いに行こう。’

私はこれからも私にできることをひとつずつ、やっていきたいと思っています。 世界の子どもたちが抱えている現実、それでも抱いている夢や希望を見つめ続けること。 そしてそこで考えたり感じたりしたことを、日本の皆さんに伝え続けてゆくこと。 それが、今の私にできることなんじゃないかと思っています。
2005年夏 藤原紀香

東北地方太平洋沖地震緊急支援のお願い

Smile Please ★ 藤原紀香 世界こども基金